ぼくはけっこうな頭でっかちです。
思考が先行するので、行動は遅め。
そして、考えることが好きです。
考えるって行為が好きって感じ。
なのでよく、やってもないのに結果を想像したりします。
そういうときには決まって、「案ずるより産むが易しだぞ。とりあえずやってみろよー」なんて言われるわけです。
だいたい「確かにそうなんだけど、なかなかね〜」とはぐらかしてきました。
でも本当に行動ってのが大事だってことはわかってはいるんですが、腑に落ちてませんでした。
頭ではわかってても、体が反応してくれなかった。
んで、最近ボルダリングに行ったり、アンケートモニターのサイトに登録して、やっと腑に落ちました。
思考で補える範囲はごく僅か。
体験すればそこに至る過程までも知恵が増える。
これです。
案ずるより産むが易しってことわざは、「考えてるよりもやってみたら簡単やで〜」っていう意味です。
でも、僕はどうも納得できてませんでした。
それだと、「考えるより動いた方が良い」って言われてるような気がして、なんかムズムズ。
そこまで極端なわけないんだけど、考えて今できる範囲の効率の良い方法、ベストな答えを出すことは大切だと思ってました。
ですが、ボルダリングのジムを探したり、アンケートモニターの収入を計算してみたり...
『こうかもしれない、ああかもしれない...』
って考えたとしても、実際にやってみないことにはそれが正しいかどうかもわからない。
考えてるからこそかもしれないけれど、やってみて知ることって物凄く多い。
結局のところ、自分の知識だったり予測は現実の数%でしかないようです。
もう少しあると思ってました(笑)
考えることが無駄ってことはないのですが、考えられる範囲ってそのときには限度があるのではないかと感じます。
可能性を広げる、選択肢を多くすることはできるんですけど、より深く考えたり、確度の高い方法の模索は時間をかければ見つかるわけじゃない。
むしろ荒削りでも、間違いだと薄々気づいていてもやってみる方が、自分にとっての正解に近づけるチャンスが増えるんだと思う。
このことわざは、そういう意味を裏に持ってるはず。
行動に早く移した方が得だから。ではない。
考えたって仕方がない。のでもない。
もっと母親的視点というか、優しさとか愛情ってのがことわざの裏には隠れてるような気がしてます。
いろんな経験をしてきた親や師が、
「昔は自分も考えてばっかりで、動き出すのが遅かったなぁ。でも、一度動いてみたら世界はすごいスピードで広がっていくもんだ。ここは私に騙されたと思って、まずはやってみなさいや。」
そんなことを思っての発言だとすれば、いい話やね(笑)
それと同時に、「あまり考えすぎると、動く力がなくなるぞ。」ってことも教えてくれてるんじゃないか?って思います。
なるべく『面白そう!』って思うことや、『これは言いたい!伝えたい!』って思うことは思い切ってさらけ出してみれば、思ったよりも簡単になにかが動き始めるのかもしれません。
まさに、案ずるより産むが易しですね。
それでは~。