ほつブログ

基本、日記とエッセイです。違いはあんまり分かりません。

自分を選ぶことが、最もリスクを取った選択

 

「何かを得るためには、リスクを背負わなければいけない」

 

そういう類の言葉を、誰しも聞いたことがあると思う。

それは、確かにそうだ。

感じてはいたけど、無駄に大きく考えすぎていた気も、最近はしている。

 

 

たくさんあるリスクの中で、一番大きいものってなんだろう?

そう考えたときに、もしかすると、『自分を選ぶこと』なんじゃないか?と思うようになった。

 

この価値観には、人それぞれ意見が分かれる。

「確かに」

って言う人も居れば、

「いやいや、なに言ってんの」

と呟く人も居る。

 

僕の話になるけど、自分を選ぶ時って、大概世間の一般論から外れた行動を取るみたい。

幼少期から、素直になることは、人と違う道を選択することって考えるようになった。

 

だからこそ、自分にとっての最大のリスクは、人の輪から外れることなんだ。

基本的に、心地いい状況を壊したくないって気持ちが強くて、みんなの輪の中に入ったいたい。

でも、そうしてるうちに、小さなストレスが溜まっていって。

爆発しちゃうんだよね。

堪え性がないなぁ、って思うんだけど。

もう、しゃーないしゃーない。

 

今回、仕事を辞めたのも。

自分を選んだ結果で。

そして、今までの交友関係が全て無になることも覚悟した選択。

 

今までは、すごく怖いことだったけど。

もう、気にしなくなった。

逆に、自分がどれだけ恵まれていたか。

いろんな人に、与えられてきたか。

それを感じるきっかけにもなった。

 

 

他人の意見を否定はしない。

でも、人と違うからと言って、自分の意見を否定する必要はないんだ。

それで結果がどうなろうと。

自分で決めたことなら、受け入れることができる。

その、結果を受け入れる過程が、生きていくうで、一番大事なんじゃないだろうか。

 

まだまだ若輩者の自分が、わかったようなことを言うのは、憚られるけど。

実際に、そう思ってるんだから、仕方ないよね。

 

これからは、もっと自分を可愛がってあげようって、そう思ってるんだ。

ナンセンスかもしれないけど、逆にセンス良くない?って思っちゃってるから。

一角の人間は、どこかに狂気的な部分を持ってる

 

これは、偏見もあるだろうけど。

一つ言っておきたいのは、これは称賛であること。

そういうヤバいぐらいの狂気性がないと、

抜きんでた人間にはなれないのかな?と思う。

 

ここで言う、『一角の人間』っていうのは、

成功者、という意味ではない。

周りから一目置かれている、認められている人って意味。

 

誰しもいろんな人と交友してきて、

なんとなく人の傾向とか特徴とかを自然とデータ化してると思う。

僕は、人とかの観察が好きで、

マクドナルドの2階窓際の席で、3時間とか4時間とか

街行く人を眺めて過ごすのが昔すきなぐらいで。

その中で、今のところ間違いないと思うことを、まとめとく。

 

 

それは置いておいて。

 

一人でフラフラ出かけるのも好きだし、人と話すのも好き。

そこで、いろんな人と知り合う中で、

「この人、やべぇぞ、、、(ゾワッ)」

とすることも、結構あった。

もちろん、いい意味でね。

 

 

いろんな劣等感を感じながら生きてきて。

無意識に、僕が生きていることを認めてもらうには、

ちゃんと人に合わせて生きられる人間になるか、

一角の人間になるか、

の二択だと思っていた。今は違うけどね。

 

それで、この人はすごいなぁって思う人たちの、法則性というか、共通項を探してみることにした。

スキルとか、能力とか、家庭環境。

人それぞれ、様々な状況から一角の人になっていた。

モチベーションが高いとか、ある程度の法則性はあるものの、そうじゃない人も居たし、頑張るのが好きじゃないって人も居たんだよね。

 

全ての一角の人たちに会ったわけじゃない。

そりゃそーだよね。

けど、いろんなタイプの人が居たけれど、

共通している部分を見つけることができた。

 

 

それが仕事であれ、趣味であれ、何であれ。

狂気的ともとれる、熱狂できるものがあること。

個人事業主の人とかは、わかりやすい人が多い。

狂気的に好きなことを、仕事にしていることが多いからだ。

でも、一般の社会人の人の場合は、趣味とか在り方が狂気的。

だから、別にその人の生活の中に、一般的な尺度で測り切れないものがあるなら、一角の人間であったり、そうなれる素養があるのではないか?と。

 

それが分かったとして、自分はどうなのかと言えば、、、

特にそんな部分はなく。

ちょっと周囲と違うところがあるけれど、わかりづらい範囲。

友人からは、存在感が3.5次元と言われるけど、

狂気的な人は、4次元に感じるから、中途半端な感じなんだろうと思う。

 

しかし、しかし、おかし。

いっぱんぴーぽーは、一角の人間になれないのか?

と聞かれる、そうではない、と答える。

狂気的な行動をする、とか、無理して頑張る、とか。

そういうのは必要ない。

ただただ、回数や時間を掛けること。

 

継続は力なり、ってだけなんだよね。

何かに熱狂的な人は、好きなことにそれだけ時間を費やしてる。

それだけやり込んでたら、そりゃ抜きんでるよね。

 

何か一つ決めて、継続していけば、何かしら認められるものができる。

一つ決めなくてもいいんだろうけど、達成というか結果が出るのに、倍の時間はかかっちゃう計算になるからね、単純計算で。

 

もう、そういう生き方は疲れちゃったので、僕はしないけど。

もし、目指すものがある人は試してみて。

やっぱり、仕事の後のビールは美味い

 

「人はなぜ、頑張るんだろうか?」

 

そんなことを、突き詰めはしないけど、

漠然と考えてきた約30年。

 

今のところの答えは、

『頑張ると、いろんな事が楽しくなるから』

ってところに落ち着いてる。

 

 

お酒を飲まない人、また、ビールが苦手な人には共感しずらいことだと思うけど。

仕事終わりのビールって、なんでこんなに美味いの?ってぐらい美味しいのね。

単純にビールは好きなんだけど、頑張った後ってうまく言えないけど、めちゃくちゃ美味しく感じる。

部活の後の、アクエリアス

夏休みのプール終わりの、三ツ矢サイダー

それと、同じぐらい美味しい。

 

 

みんな、経験から知ってる。

ただただ、教授することより、乗り越えた後にご褒美がある方が、より嬉しいって。

その理論を神格化するつもりは、さらさらないけれど、否定することはできないよね。

 

実は今日仲良くしてもらってる焼き鳥屋さんで、バイトをしてて。

いつもより、ビールが美味しくて、こんな日記を書いた。

 

楽しく、やりがいをもって、仕事をするってどうしても楽しさしかないんだよ。

それが、でっかい仕事でも、万引きGメンでも。

なーんでもいいの。

 

足るを知るってことなんだろうか?

まだ、その領域には達してないけど、その一端を掴んだような気がしてる。