ほつブログ

基本、日記とエッセイです。違いはあんまり分かりません。

一角の人間は、どこかに狂気的な部分を持ってる

 

これは、偏見もあるだろうけど。

一つ言っておきたいのは、これは称賛であること。

そういうヤバいぐらいの狂気性がないと、

抜きんでた人間にはなれないのかな?と思う。

 

ここで言う、『一角の人間』っていうのは、

成功者、という意味ではない。

周りから一目置かれている、認められている人って意味。

 

誰しもいろんな人と交友してきて、

なんとなく人の傾向とか特徴とかを自然とデータ化してると思う。

僕は、人とかの観察が好きで、

マクドナルドの2階窓際の席で、3時間とか4時間とか

街行く人を眺めて過ごすのが昔すきなぐらいで。

その中で、今のところ間違いないと思うことを、まとめとく。

 

 

それは置いておいて。

 

一人でフラフラ出かけるのも好きだし、人と話すのも好き。

そこで、いろんな人と知り合う中で、

「この人、やべぇぞ、、、(ゾワッ)」

とすることも、結構あった。

もちろん、いい意味でね。

 

 

いろんな劣等感を感じながら生きてきて。

無意識に、僕が生きていることを認めてもらうには、

ちゃんと人に合わせて生きられる人間になるか、

一角の人間になるか、

の二択だと思っていた。今は違うけどね。

 

それで、この人はすごいなぁって思う人たちの、法則性というか、共通項を探してみることにした。

スキルとか、能力とか、家庭環境。

人それぞれ、様々な状況から一角の人になっていた。

モチベーションが高いとか、ある程度の法則性はあるものの、そうじゃない人も居たし、頑張るのが好きじゃないって人も居たんだよね。

 

全ての一角の人たちに会ったわけじゃない。

そりゃそーだよね。

けど、いろんなタイプの人が居たけれど、

共通している部分を見つけることができた。

 

 

それが仕事であれ、趣味であれ、何であれ。

狂気的ともとれる、熱狂できるものがあること。

個人事業主の人とかは、わかりやすい人が多い。

狂気的に好きなことを、仕事にしていることが多いからだ。

でも、一般の社会人の人の場合は、趣味とか在り方が狂気的。

だから、別にその人の生活の中に、一般的な尺度で測り切れないものがあるなら、一角の人間であったり、そうなれる素養があるのではないか?と。

 

それが分かったとして、自分はどうなのかと言えば、、、

特にそんな部分はなく。

ちょっと周囲と違うところがあるけれど、わかりづらい範囲。

友人からは、存在感が3.5次元と言われるけど、

狂気的な人は、4次元に感じるから、中途半端な感じなんだろうと思う。

 

しかし、しかし、おかし。

いっぱんぴーぽーは、一角の人間になれないのか?

と聞かれる、そうではない、と答える。

狂気的な行動をする、とか、無理して頑張る、とか。

そういうのは必要ない。

ただただ、回数や時間を掛けること。

 

継続は力なり、ってだけなんだよね。

何かに熱狂的な人は、好きなことにそれだけ時間を費やしてる。

それだけやり込んでたら、そりゃ抜きんでるよね。

 

何か一つ決めて、継続していけば、何かしら認められるものができる。

一つ決めなくてもいいんだろうけど、達成というか結果が出るのに、倍の時間はかかっちゃう計算になるからね、単純計算で。

 

もう、そういう生き方は疲れちゃったので、僕はしないけど。

もし、目指すものがある人は試してみて。