勿体ないとか、知らんがな
いろんな人から言われていた、
「勿体ない」
の言葉。
それに応えようと、あくせくしてたけど。
もう知らねーよって吹っ切れた。
人それぞれ、理想や望む未来や、欲しいカタチがあるのは、理解している。
でも、それを他人にも当てはめるのは、
なんだか違う気がして。
輝かしい未来とか、関係なく。
やりたいことを、やりたい分だけ。
満足して暮らしていけてるなら、それで人間十分なんじゃない?
すごい人、羨まれる状況、輝かしい成功。
別に無くても良いよ。
自分の正解は、自分のもので留めておけばいい。
誰かに納得してもらわないと、共感してもらわないと。
そこが揺らぐようなら、それは自分本来の欲求で動いてない証拠だ。
こんな言い方をすると、
「自分らしく、輝かしい未来を手に入れましょう!」
って、言ってるように聞こえるかもしれないけど。
もっと、シンプルで。
別に、アルバイトでも、パートでも、売れないバンドマンでもいいんだよ。(バンド頑張ってる方、すみません)
何もしないのが好きな人も居るし、フリーターが良いって人も居る。
その人は、どうあれ理由があってその状況を続けてるんだから、とやかく言う必要はないのね。
ただ、毎日をストレスなく生きていきたいって気持ちも。
全くもって、おかしな話じゃない。
むしろ、今の時代とても大事なことだと。
僕自身は思ってるし、それを探し続けてる『今』が嫌じゃない。
いろんな人から言ってもらうけど。
なんか、ポテンシャルが高いんだって。
飲み込みの早さとか、知識量とか、好奇心とか。
だから、もっと頑張れるよ、デカい人間になれるよ、って言われてきた。
結局、因果応報なんだけど。
僕自身、そういう世界に、意識高く生きていく方に舵をとっていた。
だから、そういう話が入ってくるし、それに向けて頑張ってきた。
だから、激励してくれる人が悪いんじゃない。
そういう言葉を、誰でもない僕自身が待っていたんだから。
けど、今思えば。
自分でない自分になろうと、足掻いてたんだと思う。
本当の自分は、もっと、ゆったりで、のびのびしてて、ふわふわしてた。
大概の場合、否定されることが多くて、自分が間違ってると思ってたんだけど、たぶん、そうじゃない。
違う価値観だった。それだけ。
成功とか、名声なんてものは、欲してない。
ただただ幸せに、落ち着いて暮らしたい。
手を繋いでゴールするのは、面白くないけど、勝ち負けで人生が決まるのも、腑に落ちない。
楽しく競争して、お互いの結果を認め合う。
勝ち負けじゃなく、次はもっと面白くなるように何ができるかな?って話し合う。
そんなハートフルな世界を僕は作りたい。