ほつブログ

基本、日記とエッセイです。違いはあんまり分かりません。

あ、雨漏り、、、?!

 

僕は、今木造アパートの民。

一階に住んでるけど、二階がある程度の小さなアパート。

意外と街にもアクセスが良くて、立地的には気に入ってる。

 

んだけど。

最近雨が続いてるせいか、雨漏りが発覚。

一階だよ?二階があるんだよ?

なのに、雨漏りするってホワッツ?!

って、なるよね。

むしろ、僕なんかより上の階の民の部屋、、、

大丈夫だろうか。。。

 

 

今では、そこそこに気に入ってる我が家だが。

住み始めて2年がたってようやく、馴染めてきた感じ。

振り返るといろいろあったと思う。

 

入居の初日に、成長しきったゴキブリ氏が3匹も出てきたり。

それから、一ヶ月半。

一日一匹は、ゴキブリ氏とご対面。

うちの家限定の能力かもしれないが、

「あ、今日は顔出すだろうな」

っていうのが、直感でわかるようになってきた。

故に、もうゴキブリで驚くこともない。

さすが、人間は慣れの生き物だと実感するばかり。

 

その他にも、僕がお笑いの動画を見たら、

上階から床ドンの雨嵐。

そんな上階の民は、いつも大声で話したり笑ったり、

窓開けた状態で夜営んじゃうから、もうストレスフル。

でも、恐らく僕より若い夫婦みたいだから、

邪魔するのも気が乗らなくて、我慢我慢。

 

他には、自転車のタイヤが何度か刃物で切られてパンクしてたり。

駐車場に、イッヌやネッコの糞がまきびしのようにちりばめられてたり。

 

 

思い返すと、懐かしい思い出ばかり。

けど、やっぱ雨漏りはいかんでしょう。

雨の日には、リビングの天井がミミズばれみたいに膨らんでるのも、見て取れるあたり。

近いうちに各所から漏れ出してくるのでは?と懸念。

 

 

今、時の魔術師(無職)なので、贅沢は言えない。

でも、面接で、

「あなたの5年後の未来を、どう過ごしていたいですか?」

って聞かれたら、

「できれば、雨漏りのしない家に住んでいたいです」

とは、即答できるぐらいに、焦燥感に駆られている。

 

 

ほんとに。

僕のキャリア的に焦りは禁物だけれど、

それなりに早く決めないと引越しできねぇぞ。

こんな形で、ケツを叩くなんて。

いやはや、神様はよーくワカッテルヨネ。

声出して笑うって大事

 

今日は実家に一時帰省。

自分が、HSS型HSPの可能性が高いことが判明。

いろんなテスト(無料&ネット)をやってみた結果では、

ほぼ100%と言える率。

 

僕の家庭は、親との連絡もそこそこ取る方なので、

両親にも共有しておこうと思った次第。

 

 

でも、実はその報告は簡易的に電話で済ませてしまい。

帰るとは言ったものの、あんまり用事はなかったり。

 

ただ、帰省すると必ずすることがある。

両親が録画してくれているテレビを見ること。

うちはテレビ一家だったので、常にテレビが点いていた。

ご飯のときも、勉強をするときも。

勉強のときは、僕が勝手にリビングで勉強してたからだけど。

 

そんな環境もあり、今でも両親はテレビをたくさん撮りだめしている。

今の楽しみは、二人でクイズ番組を見ながら答え合うことなんだって。

、、、かわいいかよ。憧れるし。

 

 

んで。

いつも帰省するたびに、

面白かった番組だったり、僕が気になるであろう特番なんかを、

消さずにキープしておいてくれる。

なので、地元に帰ってきてからは、定期的に帰って録画を減らしている。

 

 

最近のお気に入りは、千鳥が出てる番組を見まくること。

昔から千鳥のネタは好きだけど、バラエティでの言葉のセンスや、

早いリアクションからの展開は、すさまじいと思う。

めっちゃ好き。

 

日頃、家でテレビを見る習慣がなくなってしまい、

実家に帰ったときぐらいしかテレビと顔を合わせない生活。

一人で見ると、妙な虚しさがあるのも、見てない原因ではある。

誰かとバラエティ見るのって、ほっこりするし楽しいよね。

 

 

意味なく帰ったけど、一頻り笑ったら、そこそこ元気出た。

食中毒で土曜と日曜はホントに死ぬかと思ってたけど、元気出た。

 

 

そういえば、最近。

気遣った笑いばかりで、ピュアな笑顔ってしてなかったなぁ、

なんて感じた。

やっぱり『笑う』って大切なんだなぁ。

 

今回も両親が幸せそうで何よりでした。

クサいこと言うけど、僕にとっては世界一の親。

本人たちにも言ってるから、もはや恥ずかしさは皆無。

 

ノロケはここまでにして、明日はハロワdayなので、

早めに寝ることにします。

勿体ないとか、知らんがな

 

いろんな人から言われていた、

「勿体ない」

の言葉。

 

それに応えようと、あくせくしてたけど。

もう知らねーよって吹っ切れた。

人それぞれ、理想や望む未来や、欲しいカタチがあるのは、理解している。

 

でも、それを他人にも当てはめるのは、

なんだか違う気がして。

 

 

輝かしい未来とか、関係なく。

やりたいことを、やりたい分だけ。

満足して暮らしていけてるなら、それで人間十分なんじゃない?

すごい人、羨まれる状況、輝かしい成功。

別に無くても良いよ。

自分の正解は、自分のもので留めておけばいい。

誰かに納得してもらわないと、共感してもらわないと。

そこが揺らぐようなら、それは自分本来の欲求で動いてない証拠だ。

 

 

こんな言い方をすると、

「自分らしく、輝かしい未来を手に入れましょう!」

って、言ってるように聞こえるかもしれないけど。

もっと、シンプルで。

別に、アルバイトでも、パートでも、売れないバンドマンでもいいんだよ。(バンド頑張ってる方、すみません)

 

何もしないのが好きな人も居るし、フリーターが良いって人も居る。

その人は、どうあれ理由があってその状況を続けてるんだから、とやかく言う必要はないのね。

 

ただ、毎日をストレスなく生きていきたいって気持ちも。

全くもって、おかしな話じゃない。

むしろ、今の時代とても大事なことだと。

僕自身は思ってるし、それを探し続けてる『今』が嫌じゃない。

 

 

 

いろんな人から言ってもらうけど。

なんか、ポテンシャルが高いんだって。

飲み込みの早さとか、知識量とか、好奇心とか。

だから、もっと頑張れるよ、デカい人間になれるよ、って言われてきた。

 

結局、因果応報なんだけど。

僕自身、そういう世界に、意識高く生きていく方に舵をとっていた。

だから、そういう話が入ってくるし、それに向けて頑張ってきた。

だから、激励してくれる人が悪いんじゃない。

そういう言葉を、誰でもない僕自身が待っていたんだから。

 

けど、今思えば。

自分でない自分になろうと、足掻いてたんだと思う。

本当の自分は、もっと、ゆったりで、のびのびしてて、ふわふわしてた。

大概の場合、否定されることが多くて、自分が間違ってると思ってたんだけど、たぶん、そうじゃない。

違う価値観だった。それだけ。

 

成功とか、名声なんてものは、欲してない。

ただただ幸せに、落ち着いて暮らしたい。

手を繋いでゴールするのは、面白くないけど、勝ち負けで人生が決まるのも、腑に落ちない。

楽しく競争して、お互いの結果を認め合う。

勝ち負けじゃなく、次はもっと面白くなるように何ができるかな?って話し合う。

 

そんなハートフルな世界を僕は作りたい。